イラストレーター、ミュージシャン中村佑介のオフィシャルブログ または心のおもらし。Twitterは@kazekissaまで。
by kazekissa
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福岡講演会とビックリマンシール
翌日11日の日曜日は福岡の日本デザイナー学院にて講演会。
大阪からなんば紅鶴、ならびに白鯨のオーナーである
柏木くんも司会進行の為、駆けつけてくれました。
今回はその専門学校の校舎ではなく、ホテルの特設会場での開催となっており、
おそらく通常は結婚式などで使う大きなスペースでの開催となったのですが、
学院生だけでなく、一般の方も遠くからたくさんお集まりいただき、会場は満員。
お越し下さった皆さま、お招き頂いた学院スタッフの皆さま、先生方、
そしてホテルスタッフの皆さま、本当にどうもありがとうございました。
「子供の頃はどんなことをしていましたか?」という質問が寄せられたので、
ちょうど会場にふさわしい、パソコンの中に入っていた僕の結婚式の時のビデオを上映しながら、
この34年間を振り返るという前代未聞の進行に、
長年友人の柏木くんでさえ、「アチャー」という顔をしておりましたが、
その後、締めるところは締めて、なかなか、充実した講演会になったのではないでしょうか。
というのも、見に来てくれていていた福岡在住の妻の叔母からも、
終演後に「ちゅうたんちゃん(こう呼ばれております)、すごいよかったわよー!!」と
お褒めの言葉を頂き、講演会前に福岡で、こちらは漢字違いの"公演"されていた
『101回目のポロポーズ』の演劇を見てから駆け付けてくれた妻も、
「武田鉄矢よりもトーク炸裂してたよ!もはや102回目のプロポーズや!!」
と、どう受け取って良いのかわからない、いやむしろ
プロポーズ的には回数が多い方が駄目な事なのでは!?
という謎の感想をもらったので、ただ事でなかったことは確かなのでしょう。
そんな『福岡講演会~102回目のプロポーズ~』でしたので、
またUSTREAMなどにアップして、福岡以外の皆さまにも
ご覧いただけるようにする予定ですので、
「講演会って気になるけど、難しそう・・・」とか「退屈そう…」と
頭によぎって足を踏み留まっている方にぜひご覧頂きたい所存です。
子供の頃の事と言えば、やはり講演会でもよく話す「ビックリマンシール」。
現在もロッテから、復刻版や新シリーズが発売されておりますので、
その存在を知らない方はいないと思いますが、
僕の小学生時代にはそれはそれはもう人気があり、
ビックリマンシールを持っていない子は女の子を含め稀で、
社会現象となり、新聞にまで掲載される程のビックリマン旋風が
日本全国を覆っておりました。
僕も類に漏れず、年子の兄と一緒に集めていて、
それだけでは物足りず、溢れだした好きな気持ちはやがて
"オリジナルシール"を作ることになり、
物凄くはしょってしまえば、いまこうしてイラストレーターになったようなものなのです。
これがあながち大袈裟な話でもなく、
一見、ビックリマンシールのキャラクターと現在の僕のイラストでは、
まったく違うジャンルに見えるかもしれませんが、
約5cm四方の正方形の中で、最もキャラクターが生きて見えるディフォルメを追及した
ビックリマンのキャラクター造形は、12cm四方という同じく正方形である
CDジャケットのイラストを描く際に、いまだにじっくりと見て勉強しているのです。
例えば、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのアルバムの中で、
柏木くんも一番お気に入りの「サーフブンガクカマクラ」のジャケット。 この大きな仏像の女性を中央にドシッと配したイラストは、
実はビックリマンシールの"聖凡ミロク"というキャラクターの
神秘性やディフォルメ加減を参考に描いたのです。
そして何より、シンプルな太い枠線で、2頭身にまでディフォルメされているのに、
女性キャラクターが可愛く、時に色っぽさを留めているのは、
手塚治虫先生も同様ですが、実はもの凄い技術のいることなのです。
僕が幼少期にはじめてエロスを感じたのは、エロ漫画ではなく、
ビックリマンの"聖蝶士"というキャラクターでした。
高校生くらいになり、その時はもうビックリマン(元祖)は終了していた時期だったのですが、
雑誌や本で進路を調べていると、ビックリマンシールを描いていたデザイン事務所が、
なんと、ご近所の大阪にあるという驚愕の事実を知りました。(その時僕は兵庫県宝塚在住)
インターネットのなかった時代だったので、それ以上のことを知ることは出来ませんでしたが、
「いつか描いたヒトにお会いしたいなぁ。。。」と、長年思いを募らせたまま、
僕はイラストレーターとなりました。
そしてつい先日、その夢が実現し、
と言っても、現在僕が住んでいる大阪府・吹田市から、
ビックリマンのデザイン事務所"グリーンハウス"のある梅田は、
車で15分ほどの目と鼻の先だったのですが、
季刊エスの『シゴトバ探訪』という対談コーナーで、
イラストレーターの米澤さんと兵頭さんにお会いすることができ、
「長い道のりだったなぁ。。。」と小学生の頃からの自分を振り返っておりました。
対談の内容は現在発売中の季刊エス4月号(vol.38)をご覧頂くとして、
お二方とも、ユーモアと厳しさが絶妙なバランスで共存する
非常に大阪らしいイラストレーターでした。
こんな近くに大先輩がいることを誇りに思い、励みにし、
僕もいつか、そんな楽しい、子供たちもニッコリと共感出来るような大きな絵を、
大阪で描いていきたいなと、改めて思った次第です。 誌面にはビックリマンの原画や別バージョンやラフスケッチなどの
本邦初公開の貴重な資料から、なんと左下には共作させて頂いたイラストも。 『季刊エス』2012年4月号(vol.38)特集~男子図鑑/飛鳥新社刊/1300円(税込)
全国書店にて発売中 Amazonはコチラ
こうして、後輩たちと先輩方との間で、
バトンは渡すものではなく、分けてみんなで走るものなのかもしれないな
と思った春の、はじまりです。
大阪からなんば紅鶴、ならびに白鯨のオーナーである
柏木くんも司会進行の為、駆けつけてくれました。
今回はその専門学校の校舎ではなく、ホテルの特設会場での開催となっており、
おそらく通常は結婚式などで使う大きなスペースでの開催となったのですが、
学院生だけでなく、一般の方も遠くからたくさんお集まりいただき、会場は満員。
お越し下さった皆さま、お招き頂いた学院スタッフの皆さま、先生方、
そしてホテルスタッフの皆さま、本当にどうもありがとうございました。
「子供の頃はどんなことをしていましたか?」という質問が寄せられたので、
ちょうど会場にふさわしい、パソコンの中に入っていた僕の結婚式の時のビデオを上映しながら、
この34年間を振り返るという前代未聞の進行に、
長年友人の柏木くんでさえ、「アチャー」という顔をしておりましたが、
その後、締めるところは締めて、なかなか、充実した講演会になったのではないでしょうか。
というのも、見に来てくれていていた福岡在住の妻の叔母からも、
終演後に「ちゅうたんちゃん(こう呼ばれております)、すごいよかったわよー!!」と
お褒めの言葉を頂き、講演会前に福岡で、こちらは漢字違いの"公演"されていた
『101回目のポロポーズ』の演劇を見てから駆け付けてくれた妻も、
「武田鉄矢よりもトーク炸裂してたよ!もはや102回目のプロポーズや!!」
と、どう受け取って良いのかわからない、いやむしろ
プロポーズ的には回数が多い方が駄目な事なのでは!?
という謎の感想をもらったので、ただ事でなかったことは確かなのでしょう。
そんな『福岡講演会~102回目のプロポーズ~』でしたので、
またUSTREAMなどにアップして、福岡以外の皆さまにも
ご覧いただけるようにする予定ですので、
「講演会って気になるけど、難しそう・・・」とか「退屈そう…」と
頭によぎって足を踏み留まっている方にぜひご覧頂きたい所存です。
子供の頃の事と言えば、やはり講演会でもよく話す「ビックリマンシール」。
現在もロッテから、復刻版や新シリーズが発売されておりますので、
その存在を知らない方はいないと思いますが、
僕の小学生時代にはそれはそれはもう人気があり、
ビックリマンシールを持っていない子は女の子を含め稀で、
社会現象となり、新聞にまで掲載される程のビックリマン旋風が
日本全国を覆っておりました。
僕も類に漏れず、年子の兄と一緒に集めていて、
それだけでは物足りず、溢れだした好きな気持ちはやがて
"オリジナルシール"を作ることになり、
物凄くはしょってしまえば、いまこうしてイラストレーターになったようなものなのです。
これがあながち大袈裟な話でもなく、
一見、ビックリマンシールのキャラクターと現在の僕のイラストでは、
まったく違うジャンルに見えるかもしれませんが、
約5cm四方の正方形の中で、最もキャラクターが生きて見えるディフォルメを追及した
ビックリマンのキャラクター造形は、12cm四方という同じく正方形である
CDジャケットのイラストを描く際に、いまだにじっくりと見て勉強しているのです。
例えば、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのアルバムの中で、
柏木くんも一番お気に入りの「サーフブンガクカマクラ」のジャケット。
実はビックリマンシールの"聖凡ミロク"というキャラクターの
神秘性やディフォルメ加減を参考に描いたのです。
そして何より、シンプルな太い枠線で、2頭身にまでディフォルメされているのに、
女性キャラクターが可愛く、時に色っぽさを留めているのは、
手塚治虫先生も同様ですが、実はもの凄い技術のいることなのです。
僕が幼少期にはじめてエロスを感じたのは、エロ漫画ではなく、
ビックリマンの"聖蝶士"というキャラクターでした。
高校生くらいになり、その時はもうビックリマン(元祖)は終了していた時期だったのですが、
雑誌や本で進路を調べていると、ビックリマンシールを描いていたデザイン事務所が、
なんと、ご近所の大阪にあるという驚愕の事実を知りました。(その時僕は兵庫県宝塚在住)
インターネットのなかった時代だったので、それ以上のことを知ることは出来ませんでしたが、
「いつか描いたヒトにお会いしたいなぁ。。。」と、長年思いを募らせたまま、
僕はイラストレーターとなりました。
そしてつい先日、その夢が実現し、
と言っても、現在僕が住んでいる大阪府・吹田市から、
ビックリマンのデザイン事務所"グリーンハウス"のある梅田は、
車で15分ほどの目と鼻の先だったのですが、
季刊エスの『シゴトバ探訪』という対談コーナーで、
イラストレーターの米澤さんと兵頭さんにお会いすることができ、
「長い道のりだったなぁ。。。」と小学生の頃からの自分を振り返っておりました。
対談の内容は現在発売中の季刊エス4月号(vol.38)をご覧頂くとして、
お二方とも、ユーモアと厳しさが絶妙なバランスで共存する
非常に大阪らしいイラストレーターでした。
こんな近くに大先輩がいることを誇りに思い、励みにし、
僕もいつか、そんな楽しい、子供たちもニッコリと共感出来るような大きな絵を、
大阪で描いていきたいなと、改めて思った次第です。
本邦初公開の貴重な資料から、なんと左下には共作させて頂いたイラストも。
全国書店にて発売中 Amazonはコチラ
こうして、後輩たちと先輩方との間で、
バトンは渡すものではなく、分けてみんなで走るものなのかもしれないな
と思った春の、はじまりです。
by kazekissa
| 2012-03-22 07:05
| 日記